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街のお得!?情報
市川市木内ギャラリー(ギャラリー)
市川市真間4-11-4(京成線「国府台駅」徒歩約8分)
大正住宅の最高技術・デザインを堪能できる洋館
市川市には業界を問わず様々な著名人が住んでいました。木内重四郎氏もそのひとり。
木内氏(1865年-1925年)は千葉県山武郡の生まれ。
県立千葉中学校(現千葉高校)を主席で卒業後、東京帝国大学文学部政治科に入学。
1892年には三菱財閥の祖である岩崎弥太郎の次女磯路と結婚。
その後農商務省局長など官職を歴任し、貴族院議員となり、1916年に京都府知事に任命されました。
同氏が1914年(大正3年)に完成させ、晩年暮らした別邸が市川市真間にあり、
現在は市川市木内ギャラリーとして無料で公開されています。
巨木がそびえ立つ庭園を歩いて行くと…
木内ギャラリーは国道14号線から松戸街道に入り、千葉商科大学の手前右の道を入って100mほど歩いたところにあります。
巨木がそびえ立つ庭園の小道を50mほど進んでいくと突き当たりにありました。
木製のサッシやスレート瓦などから、いかにも洋館という感じの佇まいです。玄関ホールも広い。
完成時の木内別邸は、国府台の丘陵に位置する広大な約1万坪の土地に立つ和洋折衷様式の建物でしたが、
平成のはじめごろに50mほど東に洋館部分のみ移築されたそうです。
元々建物があった場所には、現在複数のマンションが立っています。
下の写真は移築前の建物の模型とその間取り図。
公開されている洋館には玄関、応接室、書斎、ベランダ、塔屋などがあり、塔屋以外は見学することができます。
無料でくわしい説明が聞けます
玄関に入るとすぐに解説員の方が出てきてくれました。
無料でこの建物や木内家のことを説明してくれます。
その知識量には驚きです。
建物の特徴はもちろん、その当時の市川駅前の様子と現在の違いなどを細かく教えてくれました。
101年前の当時、駅前に3件あった料亭のうち2件は今も営業しているそうです。
応接室の窓からは元々立っていた場所が見えます。
大木の後ろにあるマンションのさらに裏にあったそうです。
凝ったつくりの中に和のテイスト
書斎の装飾には目を見張るものがありました。
まず天井が高くて開放感たっぷり。4mくらいありそうです。
そのつくりは格天井(ごうてんじょう)でした。
これは梁や桁の下に木材を格子状に組んだ仕様で、平安時代以降の仏堂によく見られます。
洋館といえども設計は日本人だったので、絶妙に和のテイストを入れたのでしょう。
このスペースでは不定期でクラシックコンサートなどが開催されています。
壁面の絵も当時のままで、キャンバスに描いたものを建築時に貼ったそうです。
書斎の横はベランダ。元々は床がほかよりも15cmほど低かったそうですが、見学しやすいように上げたそうです。
窓のガラスを斜め横から覗くと外が歪んで見えます。当時のガラスだからでしょうね。
玄関に戻ると棟札が展示されていることに気づきました。
これは建物の建築関係者や建築年月日などを記載した木製の札で、屋根裏の棟木や束などに釘付けるものです。
木内別邸の棟札には、大工の棟梁をはじめ、
設計士、左官職人、瓦師、庭師など表裏に渡って数十人の名前が記されていました。
おそらく当時最高クラスの技術者や職人さんだったのでしょう。
玄関ドアの取っ手は非常に低い位置にあります。
これは、当時はまだお客様と目線を合わせるために座ってお迎えする風習が残っていたからだそうです。
ここにも和のテイストがありました。
玄関を出て裏側に回ると建物全体を眺めることができました。
塔屋がお城の天守閣に見えるという声もあるとか。
木内ギャラリーは、100年以上前のものとはとても思えないモダンで重厚感のある建物です。
そして大正住宅の最高技術・デザインを堪能できる洋館でした。
市川市木内ギャラリー(ギャラリー)
市川市真間4-11-4(京成線「国府台駅」徒歩約8分)
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