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街のお得!?情報

郭沫若記念館(ギャラリー)

市川市真間5-3-19(京成本線「市川真間駅」より徒歩約16分)

日本と中国の架け橋になった偉人の旧宅

市川市には過去に様々な著名人が住んでいました。
作家の永井荷風や画家の東山魁夷などが有名です。
しかし、意外に知られていないにもかかわらず、歴史上非常に重要な役割を果たした人もいます。
中国の四川省楽山市出身の文学者、政治家である郭沫若氏です。
郭氏は昭和3年から約10年間、市川市の須和田で家族と共に暮らしました。
当時住んでいた旧宅は、現在「郭沫若記念館」として真間5丁目に移築・復元し、無料で公開されています。

4月初旬からゴールデンウイークまでは芝桜が満開に

同記念館は閑静な住宅街の中にあります。
2台分の駐車場がありますが、埋まっていることが多いので、徒歩で来た方が無難です。
敷地に入る前から目に飛び込んできたのは鮮やかに咲いた芝桜。

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開館日は金・土・日曜日ですが、芝桜が見頃となる4月1日から5月10日までは休まず開館しています。

昭和初期の住宅を復元した建物ですが、障子などの建具は当時の物をそのまま使用しています。
ガラスを斜めから覗くと、その時代ならではのゆがみがあることが分かります。

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毛沢東や周恩来との親交をしのばせる展示品の数々

建物に中には郭氏の活躍が分かる非常に多くの物が展示されています。

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郭氏の略歴は以下のようになります。
1892年:四川省楽山県(現在の楽山市)で誕生
1914年:留学生として東京第一高等学校入学
1916年:佐藤をとみと結婚
1918年:九州帝国大学医学部に入学
1923年:九州帝国大学医学部卒業(持病のため医学を断念。上海で作家を目指す)
1926年:毛沢東、周恩来と出会う
1927年:中国共産党に入党
1928年:妻子とともに日本に亡命(約10年、作家として市川市で暮らす)
1937年:日中戦争の勃発を機に帰国して国民政府に参加
1950年:全国文学芸術連合会主席
1954年:全人代常務副委員長
1963年:中日友好協会名誉会長
1978年:没

郭氏の存在のおかげで市川市と楽山市は友好都市締結を行っています。
楽山市といえば世界遺産の楽山大仏が有名です。
高さ71mの世界最大の石刻座仏。
713年に掘削が始められ、90年後の803年に完成しました。

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下の画像はこの記念館の模型です。

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1930年建築。郭氏はそれから1937年7月25日までここに住んでいました。
その後中国に戻り、日本との懸け橋として活躍します。

下の画像は毛沢東からの手紙(1944年)。

「郭氏の希望にそえるように努力する。
あなたのような大作家に太平軍のことを書いてほしい。
ぜひお会いしたい」

といったことが書かれています。

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最前列中央が毛沢東。最前列左から3番目が郭氏。

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郭氏の正装も展示されていました。当時の人としては大柄だったようです。
おそらく身長175cmから180cmくらいでしょう。

そのほか1972年に当時の日本の首相である田中角栄が中国を訪問した際の同行写真などもありました。

さらに郭氏に関して知りたい場合は、ボランティアの方が常駐しているので聞いてみましょう。
「そんなことまで!?」と思ってしまうほどくわしく教えてくれます。

こんなに国際的に活躍した人が市川市に住んでいたとは。驚きの連続の記念館でした。

郭沫若記念館(ギャラリー)

市川市真間5-3-19(京成本線「市川真間駅」より徒歩約16分)

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