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街のお得!?情報
国分寺(市川七福神めぐり)
市川市国分3-20-1(JR総武線「市川駅」より国分操車場行きバス「国分」下車徒歩約4分)
毘沙門天を祀る奈良時代建立のお寺
市川市七福神めぐり第6弾は、毘沙門天を祀る妙正寺です。
同寺は、七福神というよりも奈良時代に建立された古刹中の古刹として有名かもしれません。
その歴史を振り返りながらの見学の様子をお伝えします。
阿形・うん形像が睨みを利かす朱色の門
国分寺は最寄駅から少々離れた閑静な住宅地の中にあります。
とはいえ、駐車場は広いのでクルマで行く際に停めるところがなくて困ることはないでしょう。
駐車場に接する形でどーんと構えているのは朱色がまぶしい南大門です。
同門は明治34年に焼失しました。
その際安置されていた阿形像は救出されましたが、うん形像は焼失。
門も像もない期間が長く続きました。
そこで昭和49年阿形像は補修し、うん形像は復元。
昭和51年には南大門も再建されました。
こちらが補修された口を開いている阿形像です。
近づくとヒノキの香りが漂ってきました。
おそらく江戸時代以前のものと思いますが、かなり強く感じます。
すごい迫力の表情なのに、この香りでなんとなく癒されます。
こちらは復元された口を結んでいるうん形像。
なぜかヒノキの香りがあまりしません。
新しいはずなのにどうしてでしょう。
とにかくこちらもすごい迫力の表情です。
なにか後ろめたいことがあると近づけないかもしれませんね。
門をくぐると突き当たりに本殿が見えます。
夏の青空と銀色の瓦のコントラストが美しい。
現在も残る1200年前の様子
参道の脇には国分山開創一千二百年記念碑がありました。
そこに記された説明文の前半部分を要約すると次のようなことが書かれています。
「天平13年(741年)、世の中は大飢饉に見舞われていました。
そこで仏教の熱心な信者だった聖武天皇は、全国に国分寺建立の詔を発し、一国一寺の建立を指令しました。
全国に寺が建立されると、飢饉は納まっていきました。
そのため全国の寺は国によって保護されるようになりました。
また、これまでは全国隅々まで中央の政治や文化を行き渡らせることが困難でしたが、
国分寺の建立を通じてこれが可能になっていきました」
国分寺の存在は、日本国民のレベルアップに非常に貢献していたんですね。
このように奈良時代から続く国分寺ですが、
実は数々の火災などによって建物は何度か建て直されています。
その痕跡を確認できるのも同寺の魅力の一つ。
とはいえ、敷地は広いので、
どこに何があるのか南大門横の配置図で確認してから見学にいった方がいいかもしれません。
こちらは参道沿いにある礎石です。
直径1mほどの大きな石が規則的に並べられていました。
1200年以上前の人が、こんな大きな石を運んだんですね。
こちらは現在の本堂の左側にある七重の塔の基壇(基礎の跡)です。
塔の高さは17階建てのビルぐらいあったそうです。
およそ50mの高さです。
1200年前にそんな建築が可能だったなんて驚きです。
本堂裏の墓地には講堂の基壇がありました。
こちらも大きな石が並んでいます。
近くには土器のかけらが散らばっていました。
さて、肝心の毘沙門天はというと、本堂の右側にいらっしゃいました。
ちょっと奥まった場所なので分かりにくいかもしれません。
直径1.5mほどもある大木の奥です。
毘沙門天は七福神の中で唯一武将の姿をしています。
手には宝棒と宝珠を持ち、「多聞天」とも呼ばれています。
融通招福、戦勝の神とされています。
国分寺は、七福神めぐりはもちろん、そのほかの見どころもたくさんあるお寺でした。
ちょっとした京都・奈良気分が味わえます。
国分寺(市川七福神めぐり)
市川市国分3-20-1(JR総武線「市川駅」より国分操車場行きバス「国分」下車徒歩約4分)
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